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中国東北部を旅して -その3-

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3 西安炭鉱跡

   翌日は、朝から、乗用車とドライバー、ガイドを手配し、西安(現・遼源)へ向かう。中国における高速道路の発達と携帯電話の普及に驚く。2時間半余りで西安へと着く。観光地でもなく、ここに立寄る日本人はほとんどないと思われた。地元の住民に聞きながら、廃坑となった西安炭鉱跡へ着く。日本は満州において炭鉱の開発に力を入れるが、中国人炭鉱労働者への酷使はひどく、中国の人々の心に深い傷跡を残したようだ。

  ガイドは近くの炭鉱の記念施設に案内してくれた。「日偽統治時期遼源煤砿死難砿工墓」と記されていた。奴隷的な使役や坑内事故により、多くの中国人労働者が死に、その死体は葬儀もされず、埋められたのであろう。労働者の人骨が発掘された場所にそのままの状態で保存・展示されており、当時の日本の強制労働への抗議の意思が示されていた。

 

4 731部隊

   長春の滞在を終え、再びハルピンへ戻る。

旧長春駅.jpegのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像

      ハルピン駅は、1909年に伊藤博文が日韓併合に反対する朝鮮の志士安重根により暗殺された場所だ。

  ハルピン市街から南へ20キロほど下ると「侵華日軍七三一部隊罪証陳列館」がある。石井四郎軍医中将の統括する731部隊は、この地で細菌兵器等の開発を行ない、1939年から終戦にかけて、3000人といわれる中国人、ソ連人、朝鮮人を実験により殺害したという。

  

 

      この施設の建物は、なんとごく最近まで中学校として使用されてきたという。

      この度、新たにその建物を史跡として保存し、展示室もその中に移されていた。展示室には、発見された731部隊使用の医療器具・道具類、実験を再現した人形、犠牲になった抗日運動家の写真など、どれも悲惨な事実を世に問うている。広場には、地下の実験施設が破壊されて地面のくぼみとして露出していた。ここで恐しい実験が行なわれていたのだと思うとぞっとする。さらに、731部隊が敗戦時に爆破しても崩れなかった動力班のボイラー室の2本の巨大な煙突がそそり立っていた。真に原爆ドームと同じく、反戦のシンボルである。

 

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