私は、1957年に、熊本市に生まれました。父は、熊本市役所の職員、母は、生命保険会社の
社員でした。父方は、浄土真宗に属し、母方は、キリスト教会の信徒という家庭でした。そのため、
私は、幼い頃、お寺に墓参りに連れて行かれたり、たまに教会に連れて行かれたりしていました。
1967年に、父と母とは、離婚し、母は、小学校4年生の私と3才の妹を育てていくことになりま
した。宗教の違いは原因ではありませんでしたが恵まれたクリスチャンホームでもなく、夫婦の
危機を乗り越えることができなかったのでしょう。
生活のため、母は保険の外交員として、朝から夜遅くまで働きました。私は、鍵っ子、妹は保育
園で夕方まで過ごし、夜は、妹と二人留守番でした。 このような家庭に、クリスチャンの祖父と祖
母は、愛情をもって様々な援助をしてくれました。
祖父は、戦前、長崎市の女学校の英語の教師でしたが、満鉄の経営する鉱山技師養成学校の
教員に転職し、家族とともに満州に渡り、希望有る人生を送るべきところ、敗戦により、引き揚げて、
熊本に住んでいたのです。
祖父は、思うような再就職先はなかったようで、聾学校の臨時教員、洋服の販売、自宅のアパー
トでの小さな学習塾などで生計を立てていました。しかし、信仰は熱心で、教会では長く役員として、
会計などに携わっていました。
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