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2009年8月10日アーカイブ

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    私は、社会人になりました。人生は全てバラ色かと思ったところ、そうではありませんでした。

    社会人になると、様々な悩みが噴出してきたのです。その最大のものは、人間関係でした。

   ともに同じ道を歩むことになった同僚との人間関係です。自信をもち、プライドの高い、しかも

   それぞれに個性豊かな者たちの中にあって、傷つけられ、集団の中で没していく自分に悩み

   ました。

    このようにして、私は、1987年の8月頃、初めて、福岡の教会の門をくぐりました。

   100万都市福岡市の教会ですから、さぞかし、大勢の人がいるのだろうとおもっていたの

   すが、意外にこじんまりした家庭的な教会でした。

    熊本の教会の熱心な信者の孫ということで、まもなく洗礼を受けることを勧められ、その年

   のクリスマスに受洗しました。

 

    私の信仰生活は、このように大きく回り道をしています。しかし、神様はいつも静かにやさし

   く、私の人生を見守り、見事に信仰の継承を成就されたのだと思います。

 

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    1970年、私は中学生になり、教会学校に通っていましたが、1年生の終り頃と思います

   が、ある日、突然教会に行かなくなりました。はっきりした原因があったわけではありませ

   ん。現在の小中学生のように、部活や塾が忙しいといった理由があったわけでもありませ

   ん。ただ、それまで毎週日曜日は、教会に行き、教会の友人と遊んでいたのが、中学校

   の友人とも遊びたくなり、1度教会を休んで遊んだところ、とても新鮮に感じられ、それ以

   後教会に足を運ぶことがぷっつりと途絶えてしまったのです。

    それ以後、私は、信仰のない普通の少年として成長していきました。

   中学1年の時、不良学生と友達になり、成績も下がる一方でしたが、2年生では交遊関

   係も良くなり、幸い勉強もやる気になってきました。

   教員であった祖父の助力があったからこそ、勉強に興味がもてるようになったことは、間

   違いありません。

    1973年には、熊本市の公立高校に入学し、大学進学を目標にして勉強しました。

   この頃、母は、ささやかながら一軒家を購入し、祖父母とも同居するようになりました。

   祖父は、私が教会に行くことを祈っていたのでしょうが、言葉に出して言うことはありません

   でした。

      1976年4月、私は、希望の大学に合格することができ、福岡市に転居して、下宿生活を

     始めました。この頃、熊本の教会の牧師の連絡を受けられたのか、福岡の教会の牧師が、

     わざわざ下宿に私を訪ねてこられたのですが、不在であった私は、下宿の主からこのこと

     を聞いても、牧師に連絡せず、お会いする機会もなく、ただ福岡の教会の場所だけ知りました。

 

 

20.jpgのサムネール画像   祖父は、私を、教会学校に導きました。私は、1968年、小学5年生の時から日曜の朝、教会に通う

  ようになりました。

   その教会は、恵まれた集会がもたれていました。子どもの数も多く、夏は阿蘇や金峰山で夏期学校

  があり、クリスマスには降誕劇を催しました。

  この頃、友達だったM君は、その後牧師となって、現在東京にある教会に赴任しています。一学年上

  には、Kさんがおり、現在九州にある教会の牧師夫人です。

   1969年、小学6年生の時、熊本市の各教会の協力により、本田弘慈先生、有賀喜一先生を講師

  とした大きな伝道集会が行なわれました。会場の熊本市民会館は満席となり、本田先生の感動的な

  メッセージの終わる時には、沢山の人が感動の涙を流していました。私もその一人でした。次の礼拝

  には、5、6人の若者が新しく教会に来ていました。

   このように、私の信仰も高められていくかに見えました。

20080317IMGP1707.JPG   私は、1957年に、熊本市に生まれました。父は、熊本市役所の職員、母は、生命保険会社の

  社員でした。父方は、浄土真宗に属し、母方は、キリスト教会の信徒という家庭でした。そのため、

  私は、幼い頃、お寺に墓参りに連れて行かれたり、たまに教会に連れて行かれたりしていました。

   1967年に、父と母とは、離婚し、母は、小学校4年生の私と3才の妹を育てていくことになりま

  した。宗教の違いは原因ではありませんでしたが恵まれたクリスチャンホームでもなく、夫婦の

  危機を乗り越えることができなかったのでしょう。

   生活のため、母は保険の外交員として、朝から夜遅くまで働きました。私は、鍵っ子、妹は保育

  園で夕方まで過ごし、夜は、妹と二人留守番でした。 このような家庭に、クリスチャンの祖父と祖

  母は、愛情をもって様々な援助をしてくれました。

   祖父は、戦前、長崎市の女学校の英語の教師でしたが、満鉄の経営する鉱山技師養成学校の

  教員に転職し、家族とともに満州に渡り、希望有る人生を送るべきところ、敗戦により、引き揚げて、

  熊本に住んでいたのです。

   祖父は、思うような再就職先はなかったようで、聾学校の臨時教員、洋服の販売、自宅のアパー

  トでの小さな学習塾などで生計を立てていました。しかし、信仰は熱心で、教会では長く役員として、

  会計などに携わっていました。

 














「ライオンズの森」全景
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アイランドシティにできた
「ライオンズの森」記念碑

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福岡市 海釣り公園
   渡り桟橋より第2桟橋方向

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2009/ 7 5
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初めての獲物

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